ジョーカー見る前に。 映画『ジョーカー』を評価できない理由VG+ (バゴプラ)

これを読まずに【ジョーカー】は語れない|観る前に知っておきたい事を予習

ジョーカー見る前に

honor on Sep 27, 2019 at 1:37am PDT 映画『ジョーカー』の公開前に、同キャラクターであるジョーカーがとても重要な役割を果たす映画といえば、2008年に公開され、バットマンと宿敵ジョーカーの戦いがクライマックスとなる映画『ダークナイト』です。 『ダークナイト』公開時にはアメコミ映画の最高傑作との呼び声が高く、またヒース・レジャー演じたジョーカーのあまりの狂気演技に、彼の死後、アカデミー賞を受賞したことにより、さらなる伝説的な作品となりました。 では『ジョーカー』を見る前に『ダークナイト』を予習する必要があるかという、 見る必要は特にありません! というのも、今回の『ジョーカー』はDCエクステンデッドユニバースとは関係なく単独で作られた作品ということで、どちらかというと主要出演者の一人であるロバート・デニーロの過去作の方が関係が深い脚本となっています。 ただし、『ダークナイト』も見て損のない作品ですので、ジョーカーそのものに興味が湧いたら、ぜひ見てみてはいかがでしょうか。 A post shared by hamed. alhamdan on Oct 8, 2019 at 9:40am PDT 作品名:キング・オブ・コメディ(1983年) 監督:マーティン・スコセッシ 出演:ロバート・デニーロ、ジェリー・ルイス <あらすじ> コメディアンとして成功することを夢見ているルパート・パプキン(ロバート・デニーロ)は、有名コメディアンのジェリー・ラングフォード(ジェリー・ルイス)の番組の出待ちをしている時に熱狂的なファンの群れからジェリーを救い出し、強引に面識を作る。 社交辞令である「事務所にデモテープを持ってこい」という言葉で有頂天になるパプキン。 前から気になっていた女性リタに接近し、連れ立ってジェリーの別荘にも突撃する。 妄想と現実を行き来するパプキンの常軌を逸した行動が一線を超えたとき、事態が大きく動き出す。 タクシードライバー A post shared by infinitiiees on Oct 8, 2019 at 3:58pm PDT 作品名:タクシードライバー(1976年) 監督:マーティン・スコセッシ 出演:ロバート・デニーロ、ジョディ・フォスター <あらすじ> ベトナム帰還兵のトラヴィス(ロバート・デニーロ)は戦争による不眠症で深夜も働けるタクシー会社に就職。 社交性に欠けており、同僚からも浮いているトラヴィスの趣味は成人映画館に通うことや夜の街を車で流すこと、常に孤独とともにあり、麻薬や退廃的な生活をするニューヨークの若者を嫌悪していた。 ある日トラヴィスは、大統領候補の選挙事務所でスタッフとして働くベッツィーに惹かれ、彼女をデートに誘うも、女性慣れしていないトラヴィスは初デートで成人映画館に入り怒らせてしまう。 ますます不眠症が酷くなるトラヴィス、 少女娼婦アイリスとの偶然の出会いがきっかけとなり、彼の狂気を暴走させていく。 スポンサーリンク ジョーカー見る前に知っておきたい映画のみどころ! それでは、上で紹介した2本も含め、ジョーカーを見る前に知っておきたい映画のみどころを紹介します。 instagram. 主人公はコメディアン志望であること• 母親と一緒に暮らしていること• 片思いする女性がいること• お気に入りのコメディショーの大物司会者がいること• そのコメディショーの大物司会者とコンタクトが取れること• 現実と妄想を行ったり来たりする性格 細かく見ていくと完全にネタバレになってしまいますが、主人公の造形や置かれた状況など、かなり近しいものがあるようです。 第29回のカンヌ国際映画祭でグランプリとなるパルムドール賞を受賞した名作でもあります。 こちらの 共通点はネタバレを含みますので、知りたくない、という人は要注意です。 妄想の入り混じった病的な内容の日記• 1970年代と思しき時代背景• オフィスでの印象的なシークエンス(それぞれタクシー会社、芸人派遣事務所)• 自分の頭を銃で撃ち抜くジェスチャーをする印象的なシーン• 暴力的な行動をとった結果、民衆から祭り上げられる また、映画全体を支配するトーンが非常に似た雰囲気となっています。 とにかく、この2本で主演を務めたロバート・デニーロが、大物司会者マレー・フランクリン役でキャスティングされているのはたまりませんね。 そして、バットマンの実の姿は、「ウェイン・エンタープライズ」のオーナーで独身主義者でもある億万長者のブルース・ウェインです。 幼い頃に、父トーマスと母マーサと3人で劇場から出てきたところを、目の前で両親を殺されるという悲劇にあったことが、バットマンとなるきっかけとなります。 今回はジョーカーの母親がトーマス・ウェインのもとで働いていたということで関係があり、 ジョーカーと少年ウェイン二人が邂逅するシーンもあり、のちのバットマンとジョーカーだと思うと、感慨もひとしおですね。 ダークでスタイリッシュなアメコミ映画として、ティム・バートンの作家性が活かされたものになっています。 instagram. この演技により、 アカデミー賞の助演男優賞を死後に獲得しました。 スーサイド・スクワッド(2016年).

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「ジョーカー」観る前にチェックすべき2つの映画作品とは?

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Pictures 制作のビハインドストーリー 今作は、1980年代初頭のゴッサムシティを舞台とし、社会から軽視されてきた貧しい独りの男が、いかにして犯罪の首謀者となっていくかというあらすじ。 エンタメ関連の情報をお届けするメディア『』によると、本作のインスピレーション源となったのは、制作プロデューサーを務めた巨匠 (マーティン・スコセッシ)監督による名作『Taxi Driver(タクシードライバー)』『The King of Comedy(キング オブ コメディー)』だという。 かつてこれらの作品で主人公を演じた名優 Robert De Niro(ロバート・デ・ニーロ)は、本作でアーサーの心の支えとなるお笑い番組の人気ホストとして登場している。 不正と腐敗に溢れ、弱者に過酷な社会の中で、コメディアンを夢見ながら孤独に苛まれるアーサーの姿は、そんな過去の名作にて描かれたそれぞれの主人公の姿に重なる。 ちなみに当初、Scorsese監督が制作に携わっているため、長年の友人である(レオナルド・ディカプリオ)が新しいジョーカーを演じるという噂が浮上していた。 しかしTodd監督は、脚本は最初からJoaquinのために書かれたものであって、アーサー役について他の俳優はまったくリスト上に入れてないとしている。 Pictures アメリカンコミックス映画史上初の栄誉 去る2019年8月31日(現地時間)、の誇る最狂ヴィラン(悪役)であるジョーカーの誕生を新解釈で描いた本作は、日米同日公開に先駆けて第76回ベネチア国際映画祭にてプレミア上映された。 上映後、会場からは8分間のスタンディングオベーション。 伝統と格式のある世界三大映画祭(カンヌ国際映画祭、ベルリン国際映画祭、ベネチア国際映画祭)で、アメコミを原作とした作品が最高賞を受賞するのは、今回が史上初の快挙であり、アメコミの枠を超えた傑作として、映画史を大きく塗り替えるといっても過言ではないだろう。 Pictures 新生ジョーカーの誕生 緑色の髪に、不気味な白塗りの顔、裂けて常に笑みをたたえた赤い口元。 バットマンの永遠の宿敵として数多くの作品に登場し、多くの映画ファンを魅了してきたジョーカーは、これまでに1989年公開『バットマン』のJack Nicholson(ジャック・ニコルソン)をはじめ、2008年制作『The Dark Knight(ダークナイト)』の故 Heath Ledger(ヒース・レジャー)、そして2016年に公開された『The Suicide Squad(スーサイド・スクワッド)』のJared Leto(ジャレッド・レト)といった名だたる名優たちによって演じられてきた。 またキャラクター自体の個性もさることながら、各作品の俳優の比較ができることも楽しみの1つであった。 そして今回、ハリウッドきっての演技派として知られるJoaquin Phoenixの演じるジョーカーはどのような仕上がりであるのが、キャスティング時からコミックファンのみならず、多方面からも大きな関心を集めていた。 先述のでのTodd監督のコメントによると、本作は原作であるDCコミックスの要素や世界観とは一切結びついていない完全に独立した作品であり、ジョーカーを演じるJoaquinと共にユニークでオリジナルな解釈によって新たなジョーカー像を作り上げたという。 また、Joaquinはにて「アーサーが単に苦痛を抱えた人物だと思わないんだ。 彼の人生には、苦難と悲劇の連続であるが、そんな中でも喜びと幸せを感じ、人との繋がりや愛を求めている暖かい人物である。 そんな彼の明るい部分に魅力を感じ、アーサーという人物像に彼に深く探ってみたいと決心した」と述べている。 またJohaquinは、今回役作りのために約3ヶ月で約23. 5キロもの過酷な減量に取り組み撮影に臨んだ模様。 魂を削るような鬼気迫る、Joaquinによる熱演によって作り上げた新ジョーカーはどのように描かれるのか、要注目だ。

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これを読まずに【ジョーカー】は語れない|観る前に知っておきたい事を予習

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論争を生む映画『ジョーカー』 映画『ジョーカー』が公開され、様々な反響を呼んでいる。 同作はヴェネチア国際映画祭で最高賞にあたる金獅子賞を受賞するなど、公開前から高い評価を受けていた。 とりわけ、24キロの減量に取り組んで撮影に臨んだホアキン・フェニックスの演技は圧巻で、アカデミー賞主演男優賞のノミネートは確実とされている。 様々な理由から『ジョーカー』を「観ない」と宣言する人も現れており、『ジョーカー』に心を打たれたという人と、『ジョーカー』という作品を否定する人の距離感は増すばかり。 この分断はなぜ生まれているのだろうか。 『ジョーカー』への批判 『ジョーカー』に対する批判の主なものとして、作中の重要なシーンで性犯罪者であるゲイリー・グリッターの楽曲が使用されている、精神疾患を患っている人間を犯罪者として描いている、貧困に追いやられた末の解決策として暴力を肯定している、といった声が挙げられる。 とりわけゲイリー・グリッターの楽曲使用については、現実に被害者が存在している以上、観客が意図しない(望まない)形でゲイリー・グリッターの作品に触れざるを得ないつくりとなっていることは、批判されるべき決定だと言える(SF界では、生前に性差別・人種差別的な言動があったジョン・W・キャンベルの名前を冠した文学賞の名称が変更されるなど、抑圧される人々の側に立った変化が起きている点も指摘しておく)。 同作のクライマックス、コメディショーに登場したアーサーは、 「コメディは主観だ」と主張し、 何が笑えて何が笑えないかは人々が勝手に決めていると指摘する。 世間はエリートが殺されれば悲しむが、自分のような底辺の人間が道端で倒れていても見向きもしないではないか、と。 「お前が私の命をどうでもいいと考えるのなら、私もお前の命をどうでもいいと考える」と。 『ダークナイト』のジョーカーは、秩序をもたらすバットマンを否定し、カオスを取り戻すジョーカーだったが、バットマンが存在しない世界を舞台にした『ジョーカー』で描かれたのは、捨象されてきた声を取り上げ、ゴッサムにカオスをもたらすジョーカーであった。 アーサーは「何が尊くて、何がそうでないか、それを決めているのはお前たちの主観じゃないか」とうそぶく。 こうした『ジョーカー』の論法の前では、あらゆる批評や評価が無下にされてしまう。 ここに、映画『ジョーカー』を容易には評価できない理由がある。 アーサーに共感した観客にとって、『ジョーカー』に対する率直な批判は、「貧困や障がいといったアーサーの困難に見向きもしない人々の主観から生まれたもの」としか映らないからだ。 こうして現れた分断は、一筋縄で埋まるものではない。 トッド・フィリップス監督は『ジョーカー』の評価を 「見る人がどのようなレンズを通して見るかによって決まる」と語り、ホアキン・フェニックスはジョーカーを 「定義し難い」と形容している。 『ジョーカー』の宣伝のためにコメディショー『ジミー・キンメル・ライブ! 』に出演したホアキン・フェニックスは、先行上映で家族に『ジョーカー』を見せた際に家族が同作の解釈を述べる姿を見て、「それは面白い見方だね」とだけ反応したと述べている。 彼は家族が述べた解釈であっても、それを肯定することも否定することもしなかったのだ。 公式見解、公式設定の公言が最小限に抑えられていることで、あらゆる批評や考察を、アーサーよろしく「受け手の主観的な評価だ」と片付けてしまうことができる。 『ジョーカー』が逆手に取った『アクアマン』の手法 こうした複雑な構造を持つ『ジョーカー』という作品が登場した背景も語っておく必要があるだろう。 『ジョーカー』と同じくDCコミックスから米国で2018年末、日本で2019年2月に公開され、大ヒットを記録した映画が 『アクアマン』だ。 「バットマン」や「スーパーマン」といったアメコミシリーズを擁するDCコミックスの映画作品では、名作『ダークナイト』以降、ヒーローはその正義を相対化され、ヒーロー自身が正当性を問われるダークな展開が主流となっていた。 『ダークナイト』でヒース・レジャーが演じたジョーカーは、バットマンの正義を 個人的な復讐でしかないと看破した。 自らの行動を自戒しながら、自身がマイノリティであることに価値を見出し、前に進んでいくアクアマンの姿は多くの人々に受け入れられた。 だが、 ヒーローのオリジン=ミクロで絶対的な物語を描くことによって、斜に構えた相対主義に打ち克つという『アクアマン』の手法を、『ジョーカー』は逆手に取った。 『ジョーカー』もまた、 アーサーの個人的で相対化できない物語を描いた上で、 「全ては主観だ」と結論づけることで、ゲームを振り出しに戻してしまったのだ。 「アーサーが異常なだけだ」という一方的な自己責任論への拒否感こそが『ジョーカー』への共感を生んだのだとすれば、私たちは、ジョーカーのロジックを否定しながら自己責任論に陥らないアクロバティックな理論を見つけ出さなければならない。 この論考は『ジョーカー』という作品を否定するものではない。 トッド・フィリップス監督が「映画は社会の鏡」と述べたように、『ジョーカー』はこの社会に存在する分断を露わにしただけだ。 だが、『ジョーカー』は乗り越えられていくべき作品である。 少なくとも、そう信じるべきだ。 性犯罪者であるゲイリー・グリッターの楽曲を使用している件に話を戻せば、このようなケースでは、多くの場合は被害者自身が声を上げることは難しく、代弁者を必要とする。 現実に存在する被害者の痛みを想像し、共感の想いを寄せ、人々が批判の声をあげることは至極真っ当なことだ この件に関しては、『ジョーカー』は自ら分断を生み出したと言える。 貧困、障がい、虐待の経験を抱え、拠り所や代弁者を求める声もまた、切り捨てられたり、捨象されたりするべきではない。 こうした痛みと痛みがぶつかり合う複雑な状況下で求められるのは、 互いの間に線を引くロジックではなく、互いの痛みに想いを寄せる感受性や他者性なのかもしれない。 そしてそれは、『ジョーカー』という作品の世界には微塵も存在しなかったものだ。 いずれにせよ、ジョーカーが現代社会に突きつけた難題を乗り越え、分断を埋めていく作業は、映画の登場人物ではなく現実社会に生きる私たちが担っていかなければならない。 『ジョーカー』に評価を下すのは、それからでも遅くはない。

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