羽生 善治 モチベーション。 藤井システムってなんぞや?

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羽生 善治 モチベーション

たくさんの方からお祝いや激励のメッセージをいただいて、(竜王を)獲得できたと、少しずつ実感している。 30年以上にわたって棋士生活を続けていく中で、一つの大きな地点にたどり着くことができたのは感慨深い。 検討していただけるだけでも大変名誉なこと。 引き続き棋士としてきちんと邁進(まいしん)していきたいという気持ちでいる。 現時点では、特にそういった連絡はない。 井山さんは全冠制覇を今年2回もされて、まさに現在も新しい記録を塗り替え続けている。 非常に素晴らしい棋士だと思っている。 将棋の世界も囲碁の世界も江戸時代は家元制度で、世襲で代々継いできた。 小さいお子さんから年配の方まで幅広い人たちが楽しめる。 将棋を指す、囲碁を打つ、見ると、様々な形で日々の中に浸透して存在してほしいなと日々強く思っている。 10手先を読むことはできるが、現実に起こる10手先の局面を想定することはほとんどできない。 予想外のことがほとんどで、暗中模索というか五里霧中。 あまり自信も見通しも持ってないままやっているというのが実情だ。

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才能とは、同じ情熱、気力、モチベーションを 持続することである。

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Contents• 藤井システム 「藤井システム」とは藤井聡太四段ではなく、 藤井猛九段が創案した四間飛車の戦法です。 元々は「藤井猛が指す振り飛車全般」くらいの意味でしたが、現在はほぼ「 居飛車穴熊に組まれる前に、居玉のまま攻め倒す四間飛車」の意味で使われています。 1990年頃の将棋界では、振り飛車対策として「居飛車穴熊」が猛威を奮っていました。 振り飛車がどれだけ上手く捌いても、穴熊の堅さ&遠さを頼りに暴れられて逆転負け、というパターンに苦戦していました(いわゆる、 穴熊の暴力)。 ゆえに前述の、四間飛車側から「居飛車穴熊に組まれる前に、居玉のまま攻め倒す」発想は、登場当時としては非常に革新的でした。 羽生善治三冠の藤井システム評 羽生善治三冠もその優秀性を認めており、藤井システムについて以下のように評しています。 羽生先生の次に大好きな藤井猛先生を誉めていただけないでしょうか? A. 創造の99. (引用: P. 49より) 羽生三冠に限らず、棋士が藤井システムについて語るときは、概ねベタ褒めしています。 将棋界では「自分の名を冠した戦法」が定着することは、非常に名誉なことなのです。 藤井猛という棋士 (画像:より) 藤井システムの生みの親である藤井猛九段は、独創的な序盤戦術が高く評価されている棋士で、40代半ばを超えた今でも「振り飛車の雄」としてのポジションをキープしています。 谷川浩司九段や羽生善治三冠、渡辺明竜王のような、覇道を歩んだ棋士とはまた別のベクトルでの大天才といえます。 若手時代、居飛車穴熊に悩まされていた藤井九段は、穴熊に組まれる直前に居玉のまま攻める発想を思いつき、公式戦で投入します。 それが1995年のB級2組順位戦、対井上慶太六段(当時)戦のことで、作戦は成功し、なんと47手で快勝(将棋はだいたい120手くらいで終わる)。 この将棋は、今もなお「藤井システム一号局」として語り継がれています(上の局面はその投了図)。 参考:藤井猛九段の半生• 【前編】• 【中編】• 【後編】 藤井システムの全盛期と衰退 藤井九段は1998年に竜王を獲得し、2期連続で防衛して当時の新記録となる3連覇を果たしました。 また2000年度末には自身初のA級昇級も決め、このように藤井システムは2000年前後に全盛期を迎えました。 しかしその栄華は長くは続かず、将棋の戦法の宿命として、徐々に衰退の道を歩みます。 居飛車党の棋士たちによって徹底的に研究され、誰にでも指せる対策が確立されていきました。 2006年頃を境に藤井九段自身も指さなくなってしまい、藤井システムはごく一部の棋士だけが指す、いわば消えた戦法となってしまうのです。

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弱い親のほうが、かえって子供のモチベーションを上げることが多い

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笑顔の羽生 ありがたいことだが、気づいたこともある。 多くの人に誤解されている点があるということだ。 小さいが見逃せない誤解と大きな誤解。 まずはそれらを解くことから、羽生の凄さを案内したい。 羽生は永世七冠ではない 小さな誤解について説明しよう。 羽生は「永世七冠」ではないということだ。 受賞理由は「永世七冠」だが、実は「永世八冠」なのである。 列記しよう。 永世名人、永世竜王、永世王位、名誉王座、永世棋王、永世王将、永世棋聖、ここまでが、いわゆる「永世七冠」。 加えて、羽生は「名誉NHK杯選手権者」の称号も持っている。 通算10回の優勝者にだけ贈られる称号であり、手にしたのは歴代棋士の中でただ一人、羽生だけだ。 さらに、NHK杯には他の棋戦と大きく違う点がある。 対局での持ち時間が極端に短いことだ。 たとえば、竜王戦は8時間の持ち時間が与えられ、対局は2日間におよぶ。 一方、このNHK杯は、なんと10分(使い終わると一手30秒が与えられる)なのである。 8時間と10分。 将棋を指す人ならおわかりだろう。 もはや、同じ競技とは言えないほどの違いである。 いわば、マラソンと100メートル走。 その両方で金メダルを獲得したのが羽生だ。 ここに羽生の凄さと恐ろしさがある。 だからこそ、見逃せない誤解なのである。 対局中の羽生 七冠と永世七冠はどちらが上か 大きな誤解は、無理もない誤解である。 私が耳にした一般の方の言葉を紹介しよう。 「羽生さん、すごいですね。 七冠だってすごいのに、さらに上の永世七冠でしょ」 一見、納得。 しかし、誤解なのである。 「永世七冠」は「七冠」の上に位置するものではない。 「永世」という言葉がそう思わせてしまうのだろうがそうではない。 たしかに「名人」と「永世名人」ならば、その図式も当てはまる。 「永世名人」は「名人」位を5回獲得したものだけに贈られる称号だからだ。 しかし、「七冠」と「永世七冠」は、そういう関係ではない。 下記をご覧いただきたい。 「七冠」とは7つのタイトルを同時に保持している棋士の称号• 「永世七冠」とは7つのタイトルをそれぞれの規定回数以上に保持したことがある棋士の称号 わかりにくいかもしれないので、大相撲に例えよう。 1は、年間の6場所のすべてで優勝を独占した力士。 2は、生涯を通じて、どの場所でも4回以上優勝したことのある力士。 これなら、おわかりいただけるのではないだろうか。 1を達成したのは朝青龍ただ一人であり、2は白鵬と大鵬の二人だけである。 どちらが上ということはない。 だが、羽生は一人で両方をやってのけたのだ。 かように短期決戦の「七冠」と生涯記録の「永世七冠」はまったく別であり、どちらも奇跡の大偉業、優劣はない。 では、長い歴史の中で、唯一羽生だけがなぜ?答は簡単。 羽生が人間ではないからだ。 その経緯も含めてガイドしよう。 羽生は野獣である ガイドは過去に幾度も書いてきた。 盤前に座した羽生は野獣である。 眼光鋭く、敵の懐に飛び込み、倒す。 羽生にとって将棋盤は狼男の満月に等しい。 小学生に教えている時にさえ「羽生にらみ」を出してしまう獅子なのである。 そして、獅子が最も強い時はどんな時か……。 手負いの時こそが最強なのである。 傷つき、追い詰められた獅子。 「七冠」を獲得した時も「永世七冠」に就いた時も羽生は手負いの獅子だった。 残雪、松明けの12日から始まった王将戦七番勝負。 開戦から2ヶ月以上を費やしての3月24日。 将棋史に残る対局が行われた。 当時、六冠を保持していた羽生は24歳、まさしく昇り龍。 六冠自体が史上初でもあった。 しかも、全冠独占まであと一つ、この「王将」のみ。 期待が高まる。 立ちはだかるは「光速の寄せ」の異名を持つ谷川浩司。 互いに3勝3敗。 最終戦に集まった報道陣は150名を超えた。 曰く「100年に一度の大勝負」。 羽生への苦手意識を持っていたと当時を振り返る谷川。 だが、負けるわけにはいかなかった。 谷川が背負っていたのは、第1戦の3日後に襲いきた阪神淡路大震災。 日本中を震撼させた大地のうねりに自身も被災した谷川は、それでも、予定通り羽生と戦いたいと懇願。 日本中がその勇姿に拍手を送った。 だが、羽生にしても負けられない。 1人の人間が6つのタイトルを冠することなど、これまでもなかったし、これからもないだろう。 だからこそ「七冠」は100年に一度の大チャンス。 逃せば、次はない。 結果、谷川が勝利。 「私だけの力ではありません」と被災者の後押しを素直に語る。 谷川賞賛の一方、メディアは落胆の声をもらす。 「羽生をもってしても、もう七冠は無理だ」。 100年待たねばならなくなった。 羽生への期待は消える。 だが、手負いの羽生はどう思ったか。 後に語っている 「(当時は)これで、2,3年は難しいだろうと考えました」 人間なら100年、つまり事実上不可能と考えることに対して、この言葉である。 そして、この言葉を羽生自身が上方修正する。 翌1996年、わずか1年で羽生はやってのけたのだ。 100年に一度の敗戦後も失意に沈むことなく、保持していた6つのタイトルをすべて防衛。 そして、再び谷川への挑戦権を手にした王将戦。 つめかけた報道陣250名の熱気の中。 なんと4連勝で、奇跡の七冠を独占してしまう。 手負いの獅子は、恐ろしいほどに強かった。 「永世七冠は消えた」 「七冠」から12支を巡った2008年。 羽生は永世六冠となっていた。 ただ一つ手にしていない永世は「竜王位」のみ。 だが、それも目前だった。 この年、羽生は竜王戦挑戦権を勝ち取る。 あと1度のタイトル奪取で永世竜王の資格を得る。 実は、羽生がプロとして初めて獲得したタイトルが1989年の竜王だった。 それから20年近くが経過している。 だが永世には届いていない。 連続5期、あるいは通算7期で永世称号が贈られる竜王位。 一概に比すことはできないが、既述のように、10回の優勝が必要な永世称号もある中で、特段に厳しいとはいえない規定だ。 だが、羽生には鬼門だった。 挑む相手は一回り若い、渡辺明。 渡辺はこの羽生戦までに4期連続で竜王となっている。 つまり、渡辺にも永世がかかっているということ。 ちなみに、それまで永世竜王に輝いた棋士はいない。 初代永世竜王を決める七番勝負。 快調に飛ばす羽生は3連勝。 歴史上、3連勝してタイトルを獲得できなかった例はない。 圧倒的な優勢。 メディアは騒ぐ。 「永世七冠、誕生か」と。 だが、そこから渡辺が怒涛の巻き返し。 3連勝をやってのける。 互いに3勝3敗で迎えた最終戦。 メディアはさらに沸騰。 曰く「100年に一度の大勝負」。 そう、再びこう呼んだのだ。 そして、羽生は敗れた。 またしても「100年」を逃してしまう。 しかも、既述のように前例のない3連勝後の4連敗。 谷川戦のときのような若さもない。 世間は口にする。 「羽生の永世七冠は消えた」と。 だが、それから2年後。 羽生は竜王戦予選で勝ち上がり、再度、渡辺に挑む。 この挑戦自体が、人間スケールで見れば奇跡だったが、世間の多くは思っていた。 勢いが違う。 今の羽生では、油の乗った渡辺に勝てまい。 それほど、羽生の傷は深く感じられた。 そして、予想は当たった。 「羽生は終わった」 7年がすぎ、羽生は47歳になっていた。 年齢とともに傷口は広がる。 いや、年齢そのものが大きな傷となる。 この年、小学生の頃から腕を磨きあった森内俊之が名人戦からの撤退を宣言した。 同年代でありながら、羽生に先んじて永世名人の称号を獲得したのが森内だ。 羽生の心中は察するに余りある。 羽生自身も、20歳代の菅井竜也、中村太地にタイトル戦連敗。 バタバタと二冠を失い、所持する冠は1つだけとなった。 また、藤井聡太という、まだ10歳代の中学生棋士が台頭。 愛娘よりも年下だ。 その藤井に非公式戦とは言え、破れもした。 もはや、人々の目に強い羽生は映らない。 強かった羽生が残像としてゆらめくのみ。 人々の口に上る言葉。 「羽生は終わった……」 だが、野生の羽生は伏していた。 傷口をじっと舐め続けていた。 そして、手負いであるがゆえの爆発的な本能を知っていた。 肉などどれだけ切られようとも構わない。 骨を断てば良い。 当面の骨は永世竜王。 手負いの獅子は立ち上がった。 2017年、竜王戦予選を恐ろしいばかりの強さで駆け上がる。 待ち受ける竜王は、あの渡辺だ。 2017年12月5日。 羽生の3勝1敗で迎えた第5局。 獅子は攻め続ける。 勝ちを確信した野生の本能は、自身の手を震わせる。 野獣の羽生と人間羽生の葛藤が表出する瞬間だ。 天を仰ぐ渡辺。 87手目が指され、ついに渡辺は力尽きた。 手負いの獅子が永世七冠という骨を砕いた。 「負けました」 渡辺の声が、人間羽生を呼び戻す。 こうして幕が閉じた。 指す羽生 おわりに 七冠、そして永世七冠。 それは羽生の第1章、第2章にすぎない。 僭越ながらガイドが予言しよう。 第3章は、米長の持つ最高齢名人位(50歳)。 そして第4章は、人工知能への完全勝利だ。 お読みいただきありがとうございました。 これからも、野獣羽生を追いたい。 そう思っています。 プロ棋士の方の活動は公的であると考え、敬称を略させていただきます。 ただし、ガイドが棋士としての行為外の活動だと考えた場合には敬称をつけさせていただきます。 アマ棋士の方には敬称をつけさせていただきます。 その他の方々も職業的公人であると考えた場合は敬称を略させていただきます。 あらためて感謝いたします。 【関連記事】•

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