ロボトミー 手術 と は。 ロボトミーとは

ロボトミー|精神医学界のタブー!!脳の一部を切除する手術とは

ロボトミー 手術 と は

公開日: 1976年4月3日 日本 監督:ミロス・フォアマン 脚本:ローレンス・ホーベン、ボー・ゴールドマン 原作:ケン・キージー 出演者:ジャック・ニコルソン(ランドル・パトリック・マクマーフィー)、ルイーズ・フレッチャー(ラチェット)、マイケル・ベリーマン(エリス)、ウィリアム・レッドフィールド(ハーディング) 受賞歴:アカデミー賞 作品賞・主演男優賞・主演女優賞・脚色賞・監督賞・の5部門受賞(主要五部門の独占は41年ぶり)。 受賞歴、ノミネート歴他多数。 blog. fc2. html ここからは、カッコーの巣の上でのあらすじをネタバレなしのものとありのものに分けて紹介していきます! 2-1.カッコーの巣の上でのあらすじ(ネタバレなし) 主人公のマクマーフィーは罪を犯したが、刑務所行きを免れるために精神病を装う演技をみせた。 その演技が功を奏したのか、刑務所ではなく精神病院行きを通達されたマクマーフィー。 彼は精神病院にたどり着くと、その精神病院が看護婦長のラチェットらに支配されていることを痛感した。 しかし、彼はラチェットらの指示に一切従わず、勝手気ままな振る舞いを続けていた。 当初は他の患者たちにさえ白い眼を向けられていたマクマーフィーだったが、ある事件をきっかけに患者たちの彼を見る目が次第に変化していった。 2-2.カッコーの巣の上でのあらすじ(ネタバレあり) 主人公のマクマーフィーは淫行の罪によって刑務所に収監されていたが、更生施設でたびたび大暴れし手に負えない状態になっていた。 そして、彼は精神鑑定を受けさせられた際に精神病に侵されていることを装い、自身の望み通り精神病院行きを勝ち取った。 こうして実際に精神病院への入院措置を命じられたマクマーフィーは、精神病院で労働を逃れることに成功した。 しかしながら、その精神病院は看護婦長ラチェットに支配されており、彼は患者たちがみな生気を失っていることを知った。 そこで、彼は精神病院のルールに徹底的に従わないことによって彼女たちへの反抗姿勢を示すようになる。 sakura. ただ、彼の行動は看護婦たちばかりでなく患者たちの同意も得られず、彼は孤立していった。 それでも、彼は野球を見るために町へ脱走すると宣言し、患者たちに脱走できるか否かの賭けをもちかけた。 その計画はバスルームの噴水台で窓を破壊し外に出るというものであったが、彼の力では噴水台を動かすことはできなかった。 賭けにも負け、脱走もかなわなかったマクマーフィー。 しかし、彼は患者に 「でも努力はした。 俺はチャレンジしたんだ」 と言い放つと、それまで生気を失っていた患者たちに変化が見え始める。 なんと、マクマーフィーの姿勢に同調する形でルール違反を繰り返し、病院内の風紀を乱すようになっていった。 そんな最中、マクマーフィーは精神病の兆候がないという診断が下り、焦った彼は病院のバスを乗っ取って釣りに出かけるという行動に打って出た。 最終的に彼らは無事病院に帰ってきたが、騒ぎを起こしたため彼を更生施設に送り返すべきという意見が強まった。 しかし、これまで彼を弾圧する悪役として描かれていたラチェットが、不本意ながら彼を収監するのも仕事のうちであると転院に反対。 結局、彼は引き続き病院に留め置かれることになった。 しかしそんなことはつゆ知らず、時期に病院を後にできると思っていたマクマーフィー。 そんな彼に、ラチェットは自身の許可が出ない限り病院を出ることは叶わないという事実を告げるのであった。 さらに、彼は仲間を救うために暴力をふるったことが原因で聲唖の患者チャーリーと共に電気ショック療法を命じられる。 しかし、チャーリーは本当のところ耳が聞こえるばかりでなくしゃべれることを告白すると、マクマーフィーは 「ここは俺たちのいるべきところではない。 」 と語り、カナダへの脱走を約束した。 こうして脱走を決めた彼は、最後の別れにとクリスマスパーティーを開催し女性を連れ込むという行動に出る。 ただ、以前に逃走を約束したチャーリーは、逃走をためらって誘いに乗ろうとしない。 そんな時、患者のビリーが女性に目を取られていることを感じ取ったマクマーフィーは、女性にビリーとのセックスを持ち掛けた。 webry. webry. html 二人は個室へと入っていったが、ビリーの帰りを待っていたマクマーフィーは逃走の機会を失ってしまった。 そして翌朝、荒れ果てた病院の惨状に激怒したラチェットはビリーを見つけると、女性と寝ていたことを母親に報告すると告げた。 ビリーは母親に対して異常なほどのトラウマを抱えており、そのことを耳にすると突如として自殺してしまった。 これを知って激怒したマクマーフィーは、ラチェットに飛び掛かり彼女を絞殺しようと首を絞めた。 しかしこの試みは警備員によって阻止され、マクマーフィーのいなくなった病院はふたたび静寂を取り戻した。 こうして変わりない日常が繰り広げられていたある日。 チャーリーは病棟に戻されたマクマーフィーの姿を目撃する。 彼の姿を見て、共に脱走しようと呼びかけたチャーリー。 しかし、彼はロボトミー手術の影響で廃人同然になっており、それを悟ったチャーリーは彼を窒息死させた。 そして、かつてマクマーフィーが試みた噴水台を用いた脱走を再現し、チャーリーは病院の外へと逃げだすのであった。 作中で出てきた専門用語の解説から入って、その後は現代社会との関連性を基本にしながら論を進めていきたいと思います。 3-1.医療界の負の遺産「ロボトミー手術」とは? さて、今作では終盤に主人公が「ロボトミー手術」という手術を受け、廃人と化してしまいました。 そのロボトミー手術という医療行為について、皆さんはどれほどご存知でしょうか。 そもそもロボトミー手術とは、精神疾患の治療法として考えられていた「精神外科」の手術の一つです。 これは、大脳の一部分である前頭葉を切り取ることで、患者の精神疾患を解消しようという試みで考案されました。 考案者のエガス・モニスは精神疾患に対する有効な治療法を確立したとして、1949年にノーベル賞を獲得しています。 さらに、日本では無断でロボトミー手術を受けさせられたという患者が医師の家族を殺害する事件までもが発生しています。 このような出来事から、現代ではロボトミー手術は医療界で完全否定されています。 そして、我々はこの一件から「医者の発言は絶対の真理ではない」ということを学ぶ必要があります。 我々は、医者というと高度な専門性を取得しているというイメージが先行し、ついつい盲目的に発言を信じてしまう傾向にあります。 しかし、日本の医者の中にはほんの一握りですが「似非医学」を堂々と主張する勢力が存在するのも事実です。 彼らは自分自身が医師免許を取得しているのをいいことに、科学的エビデンスに裏打ちされない治療法で大金を得ています。 こういった「ヤブ医者」の治療を受けないためには、患者自身がある程度自衛の意識を働かせる必要があります。 医者の発言や治療法が正しいのかをよく吟味し、怪しいと感じたらセカンド・オピニオンを受けることも重要です。 3-2.看護婦ラチェットを「単なる悪役」と考えていいのか 今作はマクマーフィーと精神病患者たちの集団が、彼らを支配しようとする病院側という「悪役たち」に立ち向かうという構図に見えないこともありません。 そして、その悪役のボスとして描かれているのが看護婦長のラチェットです。 単純に映画を観ていくと彼女は施設の患者たちから自由と希望を奪い、あまつさえビリーを「殺害」した極悪非道の女性にも感じられます。 確かに、ラチェットの方針や行動は理想的なものではありませんし、ビリーの件に関しては「殺人」の罪を背負うべきとも思います。 しかしながら、我々はここから一歩進んで 「どうしてラチェットはそういった行動を選択せざるを得なかったのか」 という点について考えを巡らせる必要があります。 では、そのためにラチェットの視点でこの物語を考えてみましょう。 まず、彼女は看護婦長という立場にあります。 livedoor. html そのため、当然彼女には病院の治安を守り、よりよい治療を患者たちにもたらす義務と責任があります。 しかしながら、そこに現れたのが傍若無人な「悪人」マクマーフィーです。 こうして彼女が築き上げてきた環境はほころびを見せていき、最終的に彼を「排除する」という決断を下すことになるのです。 このように考えていくと、行動の是非はともかく彼女が「悪行」におよんだ動機や理由は理解できるものであることがわかります。 そのため、我々が考えるべきは、 「悪行を犯したラチェット個人の非」 ではなく 「第二・第三のラチェットを生み出さないためにできることがあるのではないか」 ということなのではないでしょうか。 実際に、現代の日本でも今作で描かれているような事件が起こっています。 2016年、相模原の重度障がい者収容施設で大量殺人事件が発生しました。 犯人は植松容疑者という人物で、同施設の元職員でした。 事件としても非常にショッキングなものだったため、彼に対する非難は全国から殺到しました。 しかし、彼は現在公判中の裁判でも一貫して 「私が殺したのは『生き物』であって『ヒト』ではない」 という主張を崩していません。 もちろん彼の言動・行動は全く擁護できませんし、当然重度障がいを抱えている方にも人権が保障されています。 ただ、この事件でも先ほどのラチェットと同じように、どうして彼がこうした手段をとってしまったのかを考えなければなりません。 まず、植松容疑者は非常に重度な障がいを抱えている方の面倒をみていたために、在職中精神的に追い込まれていたとされています。 さらに、同施設採用以前から問題行動をたびたび起こしており、施設側も彼を警戒することは難しくなかったそうです。 そのため、同容疑者が凶行に及んだのは単純に彼本人だけの問題ではないことが分かります。 そもそも日本のこうした施設には職員が不足しており、他の職種に比べて待遇も決してよいとは言えません。 しかしながら、当然社会にそうした施設の存在は欠かすことができないために、同容疑者のような人物が採用されてしまうという背景があります。 このように、作中に似た背景で日本で起こった事件を見てみても、個人の資質だけでなくその事件に理由を考えなければならないことがお分かりいただけると思います。 3-3.チャーリーの行動にみる「尊厳死」の是非 今作は、終盤で廃人と化してしまったマクマーフィーをチャーリーが殺害するというシーンが存在します。 このシーンでチャーリーの行動を責める方は少ないと思いますが、現行の日本の法律ではこうした行為は「殺人罪」と定義されてしまいます。 そのため、刑法上ではチャーリーの行為を「悪」と断言するほかないのです。 しかし、このシチュエーションで殺人を犯したチャーリーの行動は、果たして本当に「悪」なのでしょうか。 blogspot. html これは非常に難しい問題であり、尊厳死をめぐる議論が紛糾する大きな理由でもあります。 確かに、見たところマクマーフィーに再起の見込みは感じられず、友情から彼を殺害したのは明らかです。 一方で、マクマーフィー自身がそれを願っていたかまでは分からず、生存を望んでいた可能性もゼロではありません。 この問題に関しては、法律はともかく感覚的な「正解」か「不正解」の判断は各人によって大きく異なるでしょう。 しかしながら、尊厳死だけでなく複雑な社会問題は「その問題について考える」という事自体に意義があることなのです。 一人一人が見て見ぬフリをするのではなく、問題と立ち向かって自分なりの答えを出すこと。 こうした作業が積み重なっていくことで、よりよい結論が導き出されていくのではないでしょうか。 全体を通じて、今作にはこのように複雑な社会問題が多く内包されており、現代日本人が考えるべきトピックの多さには驚かされます。 しかし、それだけでなく「人に勇気を与える映画」という側面もあるので、多くの人が楽しんでかつ教訓を得られる映画だと思います。 4-1.社会問題に関心がある人 社会問題に関心がある人は、当然この映画を観るべきです。 今作で描かれている社会問題は70年代のアメリカのみにとどまらず、現代でも世界中に指摘できる問題を多く内包しています。 そのため、社会問題について映画を観ながら学び考えることができます。 ただし、もちろん映画としても完成度が高いのは言うまでもなく、単に社会問題を描いただけの退屈な映画ではありません。 4-2.社会問題に関心がない人 先ほどとは真逆で、社会問題に関心がない人もこの映画を観た方がいいと考えます。 その理由は上段で書いた内容を、映画という手軽なツールを通じて知ることができるからです。 社会問題に関心のない人は、たいてい小難しいニュースや文献を好まない傾向にあると感じています。 しかしながら、今作は単純な勧善懲悪の作風の裏に複雑な問題を抱えているため、それほど抵抗感なく映画を観て学ぶことができます。 さらに、今作はアカデミー賞を総なめにしていることからも分かるように、そうした問題を描いているだけでなく映画としての完成度がとびぬけて高いという特徴があります。 そのため、純粋に映画のクオリティを楽しむという見方もできるのです。 その上今作をきっかけに社会問題への関心を深めることができれば、これほど有意義なことはないでしょう。 4-3.何かしらのコンプレックスを抱えている人 今作は精神障害を抱えているために希望を失ってしまった患者たちに、主人公がふたたび希望を持てるように働きかけています。 中でもそれを象徴しているセリフが 「お前たちは狂ってなんかいない!」 という主人公の言葉です。 そう、たとえ多少のハンディキャップがあったとしても、人生を楽しんではいけない理由はありません。 自分自身にコンプレックスがありそれが原因で負い目や劣等感を覚えている方は、このセリフを受け入れてみてください。 そうすれば、患者たちが前途に希望を持てたように、自分自身も未来に希望が持てるようになるはずです。

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映画『シャッターアイランド』善人として死ぬ事を選んだロボトミー手術

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映画『』『』と手術台に拘束され、医師に鋭い金属をまぶたから脳へと差し込まれるシーンや、反抗的な患者の魂と精神を押しつぶす為に行う冷酷で野蛮な処置の印象が強い。 上記の手術は1930年代、ポルトガルの医師エガス・モニスが、リスボンで精神科患者に施した。 そのモニスの論文を基に、米国初の施術を行った二人の医師がいた。 「 ウォルター・フリーマン」とその相棒「 ワッツ」である。 この手術こそが、何年も揺れ続ける精神医学界の騒動の口火を切るものだった。 それから40年の間にアメリカだけで 4万人の患者がロボトミーを受けたのである。 そのうち3500例はフリーマンが執刀したものだった。 成功し退院していく患者もいれば、手術が失敗すればもとの症状が改善しないばかりか、深刻な無力症に陥ったり、痙攣を起したり、失禁したりといった新たな症状に苦しむ事になった。 こうした変転の間、力強くロボトミーを推進したのが、フリーマンだった。 父親は自宅で開業医(耳鼻咽喉科)母コリーンの父親W・W・キーンは後の米国医師会会長にもなる人物であった。 祖父キーンは11もの「名誉学位」、ベルギーの冠勲章、フランスのレジオンドヌール勲章、ヘンリー・ジェイコブ・ビゲロー勲章と現役引退するまでに、多くの名誉勲章を受けている。 少年時代のフリーマンは体が弱く、一歳の時に首の片方の肥大したリンパ筋を30か所 取り去る摘出手術を受け、その後もジフテリア・はしか・猩紅熱・百日咳・おたふく風邪・結膜炎と、こうした病気に次々と罹りながらも、成長していった。 祖父キーンに憧れを抱き、父は仕事への熱意が無い為に満足も成功も得られなかった負け犬と映ったのである。 この祖父の「 大きな功績と栄華」が後のフリーマンの人格成形に大きく影響していく。 フリーマンは人付き合いもせず、独立独歩のやり方が身に染み付いていった。 成人したフリーマンは自身の事を「 おそらく私の最大の欠点は何でも一人でしたがる事だろう。 それでも私は満足している。 一人でいるのが好きなのだ」と、語っている。 1912年の秋、フリーマンはイェール大学へ飛び級で入学するが、それがある意味幸運な形となる。 その年に「」が起こったからである。 フリーマンの同級生達の多くはこの戦争で亡くなっていた。 そして大学3年の終わりの時、再び病が彼を襲った「 腸チフス」である。 これをかわぎりにまた次々と病気に罹った。 体力・体重・もろもろ衰えたフリーマンは4年の半分を自宅療養兼リハビリを虐げられた。 しかし大学に戻った彼の学業に対する熱意は変わらず、それどころか「優」の成績を得た。 幸いな事に、フリーマンは若干20歳でイエール大学を卒業できた。 その後、シカゴ大学で夏期講座を二つ受け、その秋にペンシルヴァニア大学フィラデルフィア校にある医学校に入学した。 フリーマンはすでに1年生の時から「神経系」に興味を示し「脳」への関心も高まった。 1920年度末に医学校を卒業した時、フリーマンの成績はクラスで2番目だった。 ペンシルヴェニア大学病院で、1921年の2月に「インターン」としてスタートする。 そしてフリーマンは急速に「 神経病理学学者」としての才能を開花していった。 彼自身気付いていない奇怪な「性癖」がこの頃から顏を出してきていたのだった。 「 頭蓋骨と硬膜を開いて生きている脳を見る事が、大きな満足である事」その奇怪で歪んだ人格としての実例がある。 若い男性が「ペニス」が大変な事になって病院に運び込まれてきた。 真っ黒に腫れあがった「ペニス」には、リングがはまっていた。 フリーマンはやすりでリングを切り、管子でねじり、患者を苦痛から解放する事に成功した。 フリーマンは『 標本だから預かる』と言いつつ、リングを修理しフリーマン家の紋章を彫り、永遠に金の鎖を付け身に付けた。 そんな変癖を持つ彼だが、1936年から始めた「 (術後の患者達の)追跡捜査」を、独自に行なっていた。 その後1957年、南部医師会の集まりで『前部前頭葉ロボトミー』500人の患者について、発表した。 そして著書も書き上げる。 フリーマンの足跡 1924 年 エストニアの医学誌に論文投稿 1942 年: 11 月 ジョージタウン大学解剖学師・海軍医学教諭 1926 年:秋 ジョージ・タウン大学神経学教授 1927 年: 1 月 アメリカ医学神経精神疾患会の事務長に選任 1931 年 アメリカ医師会神経精神疾患部の都会長に。 ジョージ・ワシントン大学正教授に。 1933 年 『神経病理学』出版 ジョージ・ワシントン大学教授に。 1935 年 第二回国際神経学会(ロンドンにて) 1937 年 インシュリン・カルジアゾールのショック療法を行う。 1938 年 電気けいれん療法を開始する。 侵入孔を側頭に変更。 1939 年 コペンハーゲンの第三回国際神経学会に参加。 日本で最初の前頭葉切除術 1940 年 ロボトミー記録映画の作成 1946 年 経眼窩ロボトミーを開始 1949 年 経眼窩ロボトミー公開手術ツアーを開始 1950 年 「精神疾患および難治性痛風の治療における精神外科」出版。 精神医学会で前部前頭葉ロボトミーの終了を宣言 ロボトミーの方向転換・アイスピックを片手に フリーマンは、暇をみてはワシントンのガリンジャー市立病院の解剖室にこもって時間を過ごす様になる。 長い間温めてきた施術に挑戦する為だった。 密かに病院を訪れる時、フリーマンは医療器具ではない アイスピックを手にしていた。 第二次世界大戦後、公立病院には患者があふれかえっていた。 しかも都合の悪い事に1948年末の時点で、アメリカ精神医学会の見積もりでは州立の施設に収容されている患者数は、適切に看護できる数の1・5倍に膨れ上がっていた。 そんな状況の中フリーマンは、その人達の為に自分にできる方法を考えていた。 彼は悪癖だけでなく、自分が手術を行った患者を35年間追跡調査するほど、患者と医師の関係を大切にしていた。 『安全でもっと広く使える新しい精神外科手術を作り出す』そんな野望を抱いていたのである。 眼窩については、数十年前、セント・エリザベス病院で研究室の責任者だった頃、眼窩の骨を通り抜けて遺体の脳に侵入する試みがあった。 しかし、手元にあった脊椎穿刺針や穿刺カニューレを使うと、骨が砕けてしまった。 そこで行き詰ったフリーマンには「細く、鋭く、丈夫な道具」が必要だった。 そして自宅のキッチンで見つけた理想的な器具が、 アイスピックだったのだ。 フリーマンにとって一番大きかったのは、 しっかりとした医療施設の外でも容易に、迅速にロボトミーが行なえる事だった。 フリーマンの記述によると「 軽くハンマーで叩くだけで先端は大抵眼窩の骨を突き抜けた。 経眼窩法を使えば、精神病院の中で精神外科手術が容易に行えるようになる」と書き残している。 この方法は非常に単純で、外科の経験や資格のない医師も、診療所の中で滅菌布もなしに実施できると、フリーマンは考えたのである。 アイスピックを眼窩に突っ込まれても、死体は文句を言わない、だが勿論、実際の患者には麻酔を施す必要があった。 そこでフリーマンは「 電気けいれん療法(ECT)」の機械を使い無意識状態を作り出すやり方を選んだ。 しかしこの手法は大きな『難点』があった。 手術台に縛りつけられ、口の中に保護パットを入れられ脳に通電されると患者は痙攣し暴れてしまうのだった。 精神外科からの攻撃と薬物療法の躍進で フリーマンは「 全米の精神科医を訓練して経眼窩ロボトミーをさせる」という計画を告げた。 外科的経験も資格もない精神科医が、出血・脳の損傷等、手術中の不測の事態にどうやって対応できる?と精神外科医達は批判した。 「 経眼窩ロボトミー」のデモンストレーションを各地で行うフリーマンであったが、医学の発展は目覚ましく1954年、連邦食品医薬品局は「 クロルプロマジン」という新薬をアメリカでの使用を承認した。 この薬は、本当の意味での「 抗精神薬」で製造元は化学的なロボトミーの様に患者を鎮めると宣伝した。 ニューヨーク州立病院で使用される様になり、1年も経過しないうちに入院患者数が激変した。 他の州にもこの薬は浸透していき発売されて1年の間に、200万人の『精神病患者』に処方された。 この「クロルプロマジン」をかわぎりに様々な「抗精神薬」の開発がなされ「ロボトミー」の影は薄くなっていった。 そして精神医学会は 前頭葉ロボトミーの終了を宣言した。 晩年のウォルター・フリーマンは、癌に侵され、前立腺摘出・ページェット病、そして人工肛門をつけ1972年にで亡くなった。 享年76歳であった。 最後の最後まで、自分が行なった一部の患者達と面談やカード・手紙のやり取りをしながら見守り続けた医師でもあった。 彼は精神医学と神経学の研究に貢献はしたものの、 ロボトミー手術を受けた患者の多くは障害が残ったり15%が死亡するなど、大きな傷跡も残した。 カテゴリー• 109• 356• 353• 1,411• 149• 807• 589• 169• 100• 177• 142• 134• 106• 560•

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ロボトミー手術を受けたローズ・マリー・ケネディの生涯

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白質術ともいう。 1935年の神経科医アントニオ・エガス・は,精神患者に反復的な思考パターンを引き起こすと思われる神経回路をするため,前頭葉前皮質に高純度のをするを行なった。 手術の結果にはばらつきがあったが,当時は状態,幻想,自己破壊行動,暴力などの症状を抑える治療法がほかにほとんどなかったことから,広く行なわれるようになった。 1936年アメリカ合衆国の神経科医ウォルター・フリーマンとジェームズ・ワッツが改良を加え,1940年代には短時間で行なえる術式を開発し,多くの患者に実施した。 ロボトミーを受けた患者の大部分は,緊張,興奮などの症状が軽減したが,無気力,受動的,意欲の欠如,集中力低下,全般的な感情反応の低下などの症状も多く現れた。 しかし,こうした副作用は 1940年代には広く報じられず,長期的影響はほぼ不明だった。 ロボトミーが幅広い成功を収めたとして,モニスは 1949年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。 1950年代半ばに入り,精神病患者の治療や症状緩和に効果的な薬が普及すると,ロボトミーはほとんど行なわれなくなった。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について の解説 精神障害,とりわけ精神分裂病や人格異常による興奮などに対して行われた的手技である〈〉をさす。 この種の精神外科は,すでにブルクハルトG. Burckhardt 1888 やダンディW. Dandy 1922 らによって試みられていたが,事実上の創始者になったのはポルトガルの 1935 であり,1949年,彼は,このによってノーベル生理学・医学賞を受賞している。 モーニスは,の精神症状は前頭葉に至る神経経路を遮断することによって改善されると考え,前頭葉白質内への無水アルコールの注入によるの,および白質切截器leucotomeによる手術法を明らかにした。 出典 株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版について の解説.

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