金沢 八景 京 急 ストア。 シーサイドラインの「新」金沢八景駅、31日開業 京急線に直結、乗り換え便利に

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画像中央付近に3線軌条の渡り線がある そこには、分岐器に使われる転轍機が2組見られる その前後で、共用レールは逆さになっている。 レールとレールの幅をゲージ(軌間)といいますが、この軌間が一種類でないことはご存知のことと思います。 JR在来線は1067mmで狭軌、新幹線は1435mmで標準軌と呼びます。 これは、新幹線の1435mmが世界的に普及していることからつけられた名称です。 それぞれの軌間は独立していて、他の軌間とは行き来ができません。 しかし、行き来できると便利なことも多いため、歴史的にさまざまな工夫がされてきました。 例えば、標準軌の平たい貨車に狭軌の貨車を積んで運ぶようなことは欧州でよく見られました。 また、国境で台車を履き替えることで異なる軌間に相互直通するとか、軌間可変台車を開発したスペインのタルゴ社もあります。 いま、JRグループでもこのタルゴ社と提携して、新幹線から在来線に直接乗り入れる軌間可変台車の開発が進んでいます。 そのようななかで、最も簡易で普及しているのが、3線軌条です。 一方のレールを共用し、もう一方のレールを軌間にあわせて別々に設置することで、同じ線路敷きを異なった軌間の車両が走れるようにしたものです。 国内では、いまのところ次の3線軌条区間があります。 ・JR東日本 奥羽本線 神宮寺〜峰吉川 ・京浜急行電鉄 京急逗子線 金沢八景〜神武寺 ・箱根登山鉄道 入生田〜箱根湯本 このほか、青函トンネルもいま北海道新幹線を走らせるため、既存の在来線に1本レールを追加して3線軌条化する工事を進めています。 さて、これら3線軌条区間はそれぞれユニークなところですが、そのなかで、京浜急行 京急 の六浦駅前後で見られる3線軌条渡りという珍しい部分を今回はご紹介しましょう。 右上の写真をご覧いただくと、右側の線路が3線軌条になっていることが判ります。 ところが、右の方は手前のレールが共用レールなのに、左奥に行くと共用レールは奥のレールになっています。 その移り変わるところには、なんとポイント(分岐器)があることも判ります。 通常、線路はできるだけ単純化して故障しやすいポイントを減らします。 これにより、乗り心地が悪くなることも避けられますから、車両に対しても優しくなります。 それなのに、ここでは直線であるにもかかわらず、わざわざポイントを挿入することで共用レールを変えています。 何故でしょう…? 六浦駅前後を見通してみると、 ホーム部分だけ、共用レールが ホームと反対側になっている。 実は、この先に六浦駅があり、同駅のホームは共用レールの反対側に位置しているのです。 つまり、共用レールをそのままにして進むと車両がホームに接触してしまう可能性があるわけです。 かといって、ホームを後退させると電車とホームの隙間が増えて、乗降客がその間に落ちる危険性が高まりますので、これは避けなければならないわけです。 では、最初から共用レールを反対側にしておけば良いのではと考えますよね。 ところが、前後の金沢八景駅と神武寺駅のホームは六浦駅と反対側にあるのです。 ですから、六浦駅部分だけ共用レールを逆にする方が効率的なわけです。 左下の写真は六浦駅の前後を見通したものですが、同駅ホーム部分だけ共用レールを逆さにしていることがわかりますよね。 ちなみに、この京急逗子線の3線は、通常標準軌側しか使っていません。 つまり、ポイントが関係ない側ですね。 これは、京急の電車が標準軌だからです。 では、狭軌側は何に利用するのでしょう。 それは、金沢文庫駅のすぐ北西にある総合車両製作所が関係しています。 この会社は、以前、東急車輌製造という東急電鉄のグループ会社でした。 それが、今年4月にJR東日本の完全子会社となって、総合車両製作所という社名に変わったのです。 製作するのは、鉄道車両です。 つまり、ここで製造された新車を送り出すために使われるのが、京急逗子線の3線軌条の狭軌側というわけです。 もちろん、京急の新製車はそのまま自社線内を走るので、この3線軌条は関係ありません。 3線軌条が関係するのは、JR東日本や東急など、狭軌線用の車両です。 これらは、通常、夜間に工場を出て、この3線区間を神武寺まで進みます。 ここで、JR横須賀線逗子駅につながる連絡線に入っていくわけです。 ですから、この線路が活用されているところはなかなか見られません。 この点は、ちょっと残念ですね。 掲載日:2012年10月19日 【旅行特集ページ】•

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横浜以南は三浦半島の丘陵部を通っている。 そのため、「切通しや築堤」「トンネル」などを駆使し、「1930(昭和5)年に線路を開通した」。 地形的な条件から、どうしてもこの区域は「速度制限が多くなってしまう」と飯島さん。 松宮が「カーブが多い」と感じた横浜~黄金町は1931(昭和6)年当時、「未開通だった区間を苦労して開通した」とのこと。 思った通り、「京急有数の曲線が多い区域」だそうだ。 確かに、横浜を出ると、ぐわーっとしたカーブが続いた では続いて種別。 ほかの路線の最高速度(川崎&横浜市)はどれくらいなのだろうか? 「横浜に乗り入れる路線を調べろ(byキャラではないドS編集長:吉田氏)」ということで、JR・東横線・相鉄線・市営地下鉄(横浜市)に問い合わせてみる。 まず、JRに尋ねるが「(最高速度)はお答えしていない」とのこと。 飯島さんに尋ねると、「さまざまな対策と保安装置」「ダイヤの工夫を行っているから」と答えてくれる。 そのほか、「車両のブレーキ改良」や接続や普通電車の追い抜きなど「ダイヤの見直し」も行っているそうだ。 と、(提供:前出の知人の鉄道カメラマン)について尋ねてみる。 すると、確かに「JR線などの線路幅は1067ミリ」に対し、「京急の線路幅は広く、1435ミリ」。 ちなみに「これは新幹線と同じ幅」。 線路幅が広いだけでは速く走れないが、「(安定するため)安全性としては有利」 今では「速い京急」といわれる京急。 だが、その背景には、先輩たちが歴史とともに努力と工夫を重ね,「さまざまな技術」「メンテナンス」「職員の取り組み」などがあって「高速化を実現している」と飯島さん。 最後に「なぜ速い電車を提供するのか」という問いには、お客様の利便性から「目的地への到達時間短縮は重要なサービスと考えているから」とのことだった! 京急は今日も安全運転で爆走する 取材を終えて 京急広報の飯島さんにはお忙しい中、いろいろと詳しくご説明いただいた。 取材中、以前別のはまれぽの取材で出会った方が、「京急の区間では横浜~黄金町辺りのカーブが好き」と言っていたのを思い出した。 京急は「とにかく目立つ赤い車体」「ビルやマンションの合間を爆走する姿」など特徴があり、ファンが多いのもうなずける。 「高速化」の裏には、苦労して未開通だった区域を開通した歴史やメンテナンスなど、日々の努力があるからこそだと思った。

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京急「赤字決算」があぶり出した幻の路線計画

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京急久里浜線の終点・三崎口駅。 線路の先は国道134号の下をくぐるトンネルが設けられている。 久里浜線の延伸計画の名残だ 京浜急行電鉄(京急)は今年3月、前2015年度の連結業績予想を修正。 純損益は黒字としていた前回予想(2015年11月)から一転して、40億円の赤字とした。 5月に発表された連結決算では赤字幅が縮小されたものの、それでも30億1100万円の赤字だった。 京急が最終赤字となったのは、東京急行電鉄(東急)から分離する形で設立された1948年以来、初めてという。 大手私鉄の赤字決算ということもあり、業績予想修正の発表時には、業界関係者の間ではちょっとした「ニュース」となった。 ただし、赤字転落は経営が悪化したためではない。 京急久里浜線の「幻の延伸計画」が決算に影響を及ぼしたためだ。 軍事目的で始まった延伸 この連載の記事一覧は 久里浜線は、三浦半島南部の堀ノ内(神奈川県横須賀市)~三崎口(同県三浦市)間13. 4kmを結ぶ鉄道路線だ。 計画の起源は大正期までさかのぼり、戦時体制が強まった1941年6月には、現在の京急本線黄金町~浦賀間と逗子線金沢八景~新逗子間を運営していた湘南電気鉄道の手により着工する。 三浦半島には海軍の施設が多く、久里浜線も軍事労働力などの輸送を目的に、軍部の要請を受けて着工した。 その後、湘南電鉄は現在の京急本線品川~黄金町間などを運営していた京浜電気鉄道と合併。 さらに京浜電鉄が東京横浜電鉄と合併して東急に組み込まれるといった変化はあったものの、1943年9月までに現在の堀ノ内~京急久里浜間が開業している。 戦後は旧・京浜電鉄線と旧・湘南電鉄線を東急から引き継ぐ形で、現在の京急が発足。 1950年代には三浦半島の住宅開発などと連動する形で、三崎漁港で知られる三浦市三崎地区への延伸計画がスタートした。 こうして1966年7月までに、京急久里浜~三浦海岸間が開業した。 ただ、この頃の京急は、東京都心への乗入れを図る品川~泉岳寺間の建設に注力しており、三浦海岸駅から先の建設に資金を回す余裕がなくなっていた。 その上、三崎地区は地形が険しく、少ない平地に住宅が密集していて鉄道の建設は困難。 三浦市との調整も進まなかった。

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