みっ ぱ ちゃんねる。 しみっちゃんねる

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ニコ生で世界の料理や季節の料理を作っているしみっちゃんだ! 2月14日のバレンタインデーに カカオ豆からチョコレートを作り、その模様をニコ生で放送した。 バレンタインデーにカカオ豆からチョコレートを作るのは 4年連続4回目である。 使用した材料は、 生カカオ豆、カカオバター、粉砂糖、スキムミルク カカオ豆は毎年グレナダ産を通販で購入しているが、今年は売り切れていたため、マダガスカル産を購入した。 この皮を剥くのが最も時間の掛かる工程である。 そこにカカオバターと粉砂糖、スキムミルクをいれ、湯煎しながら更に擦りまくる。 商品として売っているチョコレートを再現するにはこの工程を頑張る必要があるが、これまでの経験上、1時間やっても3時間やっても舌触りはあまり変わらないので、早々にカカオバターを入れて液体にしたほうがいい。 ホワイトチョコレートはカカオバターにスキムミルクと砂糖を適当に混ぜて作った。 舌触りは相変わらず悪いが、昨年のチョコレートよりは滑らかになったと思う。 昨年はフートプロセッサーで豆を砕いていたので、チョコ作りにはミルサーのほうが適していると分かった。 著者: しみっちゃん twitter: コミュニティ: ニコ生で世界の料理や季節の料理を作っているしみっちゃんだ! 5月15日に富山市岩瀬池田町にある富山競輪場で行われたFMとやま主催の バンバンバンク走行会に参加してきた。 富山競輪といえばCMソングの 「リンリン富山競輪」が有名であり、私はCDを買ったり、踊ってみた動画を投稿したりするほど、この歌が好きである。 しかし、競輪場の中に入ったことは無く、どういうところなのかすらよく分かっていなかった。 そこで今回、競輪場の見学や体験乗車が出来るというこのイベントに参加することに決めたのである。 ちなみに動画撮影や生放送はNGであったため、写真しか撮っていない。 午前10時、競輪場ツアーがスタートする。 私のほかには30名ほどの参加者がおり、見るからにギャンブラーの人や、親子連れなど、様々な人が集まっていた。 まず施設見学グループと体験乗車グループに分かれ、私は先に施設見学をすることになった。 自転車はバラバラの状態で運ばれてくるので、選手はここで組み立てを行う。 ギアの調節はミリ単位で行うらしい。 選手は賞典室で賞金を現金で受け取る。 2000万円くらいならばそのまま持ち帰ることもあるらしい。 また、場内は八百長防止のため、通信機器の持込は禁止である。 スポーツ選手だけあって、献立は盛りだくさんである。 夕食のメイン料理は偏食できるらしい。 酒が飲めるほか、メニューには富山名物のホタルイカやバイガイなどが並ぶ。 中でも タラ汁は大人気だが、 ブラックラーメンは不人気だとか。 部屋にはテレビや冷蔵庫があり、窓からは富岩運河が見える。 また、浴室はとても広く、サウナもある。 選手は試合前にここですね毛を剃るという。 すね毛があると落車したとき痛いからである。 選手は試合前の練習と試合後のクールダウンをここで行う。 参加者がローラーの上で自転車を漕いでもなかなかバランスが取れないが、選手がやると、ハンドルから両手を放していてもバランスを取れていた。 ここで体験乗車グループと交代である。 富山競輪場のバンクは サンサンバンクと言われるが、これはバンクが333mだからである。 バンクを歩いてみると、カント(傾斜)のきつさに驚いた。 ブレーキはついていないので、支えてもらいながらペダルを漕ぎ出す。 ペダルは非常に軽く、また、漕ぐのをやめようとしても、電動自転車のように漕ぐ方向にアシストしてくれた。 ママチャリばかり乗っていた私には新鮮な乗り物であった。 レースは地域ごとにグループになって走ることや、先行タイプ追い込みタイプがあることを知った。 実際に金を賭けはしなかったが勉強になった。 生地で釣りをするのは今回が始めてである。 本当は黒部市の石田フィッシャリーナで釣りをしようと思い、放送の予約までしたのにも関わらず、 桟橋が工事中で立ち入り禁止になっていたため、急遽生地に移動したきたのである。 生地といえば魚や湧き水のほかに、生地中橋という可動橋があることでも有名である。 釣れたのは私がこれまで釣った魚の中では最大となる30cmの魚であった。 後に視聴者のコメントで マルタウグイという魚であることが分かった。 アジやメバルばかり釣っていた私は、サビキでもこんな魚が釣れるのだと感心した。 19時を過ぎるとあたりは真っ暗になり、放送どころではなくなったので釣りを終了した。

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みっ ぱ ちゃんねる

みっちです。 昨日の朝は、関東は雪とのニュースが TVで流れたそうで、 東京に出張していた私を、 父が珍しく気遣い、 電話をかけてきました。 私は、成田から朝一の飛行機で鹿児島へ 帰っていたので 雪を見ることができません でしたが、関東で雪に見舞われた 方は大変 だったでしょう。 何年か前に、成田で雪のため寝袋が配られ、 成田空港に 見知らぬ旅人たちと、雑魚寝を したのを懐かしく思い出しました。 さて、先日発表したビデオ、思いのほか 反響があり、皆さんそれぞれに「生き方」 「死」をお考えになっていらっしゃるのだ と、知ることができました。 レスポンスを下さり、ありがとうございます。 1月のビデオは、ずっと前からお話ししたかった 「死」というテーマについて3回シリーズで お届 けしています。 第2回目の今日は、 「今日死にたい人へ伝えたいこと」と題して お伝えします。 22年前に私は、生きながら死んでいました。 それから月日が流れ、11年前にリコネクションに 出逢ってから人生が一転しました。 ビデオの中で繰り返される 「私は自分の事を不良品だと思っていた」 このフレーズ、収録の時や編集の時は 何も感じずにいましたが、何回か本編を 見るたびに、気になってきました。 「不良体」という単語はないので、無意識 にそれに近い言葉を 探して、「不良品」と 言っているのだと思いますが、 まるで物の よう。 人間は、モノではありません。 でも、本当に脚が痛くなった時に、就職先が なかったり、 「身体がそんなんじゃ使えない」 と言われて傷ついてきた 過去の記憶のまとめ として「不良品」という言葉を 発したのだと 思います。 ところで、リコネクションのセミナーにTAで 参加するために 世界各国行きますが、各国々で、 福祉に関心があるか ないかが如実にわかります。 この前、成田からジェットスターで鹿児島に帰っ てきたとき、 ジェットスターはLCCの並みのサー ビスですが、その会社の規約にのっとってサービ スする人、それ以上の思いやりを持って働いてい る人、それぞれです。 しかし、乗ってるお客様は 国際線帰りがほとんど であろうと思われる人々なので、他の国内のキャ リアの搭乗者と比べて、マナーは紳士、淑女の方 々が多いと感じました。 日本は、2020年にオリンピックを控えていますよ ね?私は東京へ出張するたびに、 パラリンピック で、日本を訪れた外国人の方々は、 何をお感じに なられるだろう、と思います。 現実社会と、福祉のバランスを考えると、難しい 課題は いくつもあるとは思いますが、今、まさに 今の私に 出来ることは、心を穏やかにして、思い やりを もつこと。 辛い体験があるからこそ、それ を親身に なって寄り添える人間でありたいです。 以下、文字起こしをしました。 あなたは脚が痛いときに 死にたいと思っていましたね? 病気とか、痛みに耐えられなくて 「死」を感じるいう人は 結構いると思うのですが 死ぬ理由というのが例えば... 「モテないからもう、死にたい」って ことが、あり得るのでしょうか? 私は自分を、障がい者だと思っていました。 今でもそう思うことがあるけれど 自分で自分を不良品扱い していた時に、生きている価値が あるのかな?と思いました。 だけど、結局…魂の仕事というか、 エネルギーの仕事というか みんなが繋がっているのだという仕事を 始めてから 生きているだけで価値があることを お客様にも、教えていただけるし 自分でも毎回毎回、学びます そうやって思うようになってからは あまり自分の事を不良品と思わなくなりました。 そうすると、生きてるだけで 世界に貢献できるなと、思ってきました。 「今日死にたい」と思う 人が例えばいたとして… 自分の姿、存在を消す人がいますね? 命を優先させるために その場から自分を消してしまう 誰も知らない 誰も知り合いがいないところに 逃げるという方法… 私がタイに行ったのもそうです。 私は4年タイに住んでいましたが その時に生きていた日本に もう居たくないなと思った。 海外に行くと、全くゼロの自分で ゼロの美智子で対話してもらえる。 しかし(日本から)逃げたつもりで タイに行ったのに、愛国心があったり… 例えば、カンボジアの難民の人が タイに働きに来ていました。 二十五年前のことです。 その人たちを、私は見下していました。 なぜなら、私は「美智子」を出していませんでした。 名前を? いいえ、私自身を 彼らに表現していなかった そうすると、彼らは私を「美智子」とは呼ばず 「日本人、日本人」と呼びました。 だけど、ある時に、 人生相談を受けて 私はこう思うよ、と話ました。 そうすると、その瞬間から 彼らは「美智子」と呼ぶようになった。 すごくいい体験になりました。 ではある意味、命はあるけれど 「日本人」と呼ばれているときには 美智子は死んでいたのですね? はい。 死んでいました。 それで、 タイに行って目が生き返った 生き返ったんです! その生き返った写真を母に見せました。 すると、母親はその写真を、ぽいと投げたんです。 なぜなら、タイに居る私は、 目が生き生きしていました。 日本ではそうではないと、 母親ならわかります。 多分….. 母親の行動は 嫉妬、なんだろうなと思いました。 また、日本に帰って目が死んだ。 そのあと、リコネクションを受けて (脚の)痛みも取れて自分を 生きるようになったから 目が生き返っ た。 では、死ぬという事は、命だけでは ないのですね? はい。 命だけではありません。 命があっても死ぬことがあるんですね? はい。 死んだ状態でずっと生きている それを多分、認識した人が もう駄目だとおもって 死にたいと思うのではないか? もう既に死んでいるから…. ですから、 自分で認識できているのだったら 多分、その時はすでに底つき状態ですから そこから上に上がるのは早いと思います。 だから、 今日、もし、死にたかったら あと一日、待ってください。

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いっちゃん (【旧店名】みっちゃん)

みっ ぱ ちゃんねる

みっちです。 昨日の朝は、関東は雪とのニュースが TVで流れたそうで、 東京に出張していた私を、 父が珍しく気遣い、 電話をかけてきました。 私は、成田から朝一の飛行機で鹿児島へ 帰っていたので 雪を見ることができません でしたが、関東で雪に見舞われた 方は大変 だったでしょう。 何年か前に、成田で雪のため寝袋が配られ、 成田空港に 見知らぬ旅人たちと、雑魚寝を したのを懐かしく思い出しました。 さて、先日発表したビデオ、思いのほか 反響があり、皆さんそれぞれに「生き方」 「死」をお考えになっていらっしゃるのだ と、知ることができました。 レスポンスを下さり、ありがとうございます。 1月のビデオは、ずっと前からお話ししたかった 「死」というテーマについて3回シリーズで お届 けしています。 第2回目の今日は、 「今日死にたい人へ伝えたいこと」と題して お伝えします。 22年前に私は、生きながら死んでいました。 それから月日が流れ、11年前にリコネクションに 出逢ってから人生が一転しました。 ビデオの中で繰り返される 「私は自分の事を不良品だと思っていた」 このフレーズ、収録の時や編集の時は 何も感じずにいましたが、何回か本編を 見るたびに、気になってきました。 「不良体」という単語はないので、無意識 にそれに近い言葉を 探して、「不良品」と 言っているのだと思いますが、 まるで物の よう。 人間は、モノではありません。 でも、本当に脚が痛くなった時に、就職先が なかったり、 「身体がそんなんじゃ使えない」 と言われて傷ついてきた 過去の記憶のまとめ として「不良品」という言葉を 発したのだと 思います。 ところで、リコネクションのセミナーにTAで 参加するために 世界各国行きますが、各国々で、 福祉に関心があるか ないかが如実にわかります。 この前、成田からジェットスターで鹿児島に帰っ てきたとき、 ジェットスターはLCCの並みのサー ビスですが、その会社の規約にのっとってサービ スする人、それ以上の思いやりを持って働いてい る人、それぞれです。 しかし、乗ってるお客様は 国際線帰りがほとんど であろうと思われる人々なので、他の国内のキャ リアの搭乗者と比べて、マナーは紳士、淑女の方 々が多いと感じました。 日本は、2020年にオリンピックを控えていますよ ね?私は東京へ出張するたびに、 パラリンピック で、日本を訪れた外国人の方々は、 何をお感じに なられるだろう、と思います。 現実社会と、福祉のバランスを考えると、難しい 課題は いくつもあるとは思いますが、今、まさに 今の私に 出来ることは、心を穏やかにして、思い やりを もつこと。 辛い体験があるからこそ、それ を親身に なって寄り添える人間でありたいです。 以下、文字起こしをしました。 あなたは脚が痛いときに 死にたいと思っていましたね? 病気とか、痛みに耐えられなくて 「死」を感じるいう人は 結構いると思うのですが 死ぬ理由というのが例えば... 「モテないからもう、死にたい」って ことが、あり得るのでしょうか? 私は自分を、障がい者だと思っていました。 今でもそう思うことがあるけれど 自分で自分を不良品扱い していた時に、生きている価値が あるのかな?と思いました。 だけど、結局…魂の仕事というか、 エネルギーの仕事というか みんなが繋がっているのだという仕事を 始めてから 生きているだけで価値があることを お客様にも、教えていただけるし 自分でも毎回毎回、学びます そうやって思うようになってからは あまり自分の事を不良品と思わなくなりました。 そうすると、生きてるだけで 世界に貢献できるなと、思ってきました。 「今日死にたい」と思う 人が例えばいたとして… 自分の姿、存在を消す人がいますね? 命を優先させるために その場から自分を消してしまう 誰も知らない 誰も知り合いがいないところに 逃げるという方法… 私がタイに行ったのもそうです。 私は4年タイに住んでいましたが その時に生きていた日本に もう居たくないなと思った。 海外に行くと、全くゼロの自分で ゼロの美智子で対話してもらえる。 しかし(日本から)逃げたつもりで タイに行ったのに、愛国心があったり… 例えば、カンボジアの難民の人が タイに働きに来ていました。 二十五年前のことです。 その人たちを、私は見下していました。 なぜなら、私は「美智子」を出していませんでした。 名前を? いいえ、私自身を 彼らに表現していなかった そうすると、彼らは私を「美智子」とは呼ばず 「日本人、日本人」と呼びました。 だけど、ある時に、 人生相談を受けて 私はこう思うよ、と話ました。 そうすると、その瞬間から 彼らは「美智子」と呼ぶようになった。 すごくいい体験になりました。 ではある意味、命はあるけれど 「日本人」と呼ばれているときには 美智子は死んでいたのですね? はい。 死んでいました。 それで、 タイに行って目が生き返った 生き返ったんです! その生き返った写真を母に見せました。 すると、母親はその写真を、ぽいと投げたんです。 なぜなら、タイに居る私は、 目が生き生きしていました。 日本ではそうではないと、 母親ならわかります。 多分….. 母親の行動は 嫉妬、なんだろうなと思いました。 また、日本に帰って目が死んだ。 そのあと、リコネクションを受けて (脚の)痛みも取れて自分を 生きるようになったから 目が生き返っ た。 では、死ぬという事は、命だけでは ないのですね? はい。 命だけではありません。 命があっても死ぬことがあるんですね? はい。 死んだ状態でずっと生きている それを多分、認識した人が もう駄目だとおもって 死にたいと思うのではないか? もう既に死んでいるから…. ですから、 自分で認識できているのだったら 多分、その時はすでに底つき状態ですから そこから上に上がるのは早いと思います。 だから、 今日、もし、死にたかったら あと一日、待ってください。

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